流通ジャーナリストの金子哲雄さんが生前整理・終活で行った4つのこと

流通ジャーナリストの故・金子哲雄さんの終活・生前整理についてまとめてみました。これから終活に取り組む方に是非お読みになって頂きたい内容となっています。

本記事の要約

2012年10月2日、肺カルチノイドのため41歳の若さでこの世を去った流通ジャーナリストの金子哲雄さん。彼が行った終活は、「完璧な終活」と称され、多くのメディアにも取り上げられて話題になりました。

今回の記事では、金子哲雄さんが生前整理・終活で取り組んだ事についてまとめています。終活に興味があるものの何をすれば良いのか分からない…という方は、参考になる情報が沢山あるはずなので、是非ご覧になって下さい。

プロフィール・略歴

流通ジャーナリストという肩書でTBSの「がっちりアカデミー!!」やフジテレビの「ホンマでっか!?TV」といった番組で活躍。2012年10月2日に肺カルチノイドのため死去。享年41歳。

幼い頃はスーパーのちらしに夢中で、いつも値段を見比べて楽しんでいたとのこと。慶応大学文学部を卒業後は、石油等の精製・販売を行う株式会社ジャパンエナジー(現在のJXTGホールディングス)に就職。ガソリンの店頭価格を調べる仕事をしていました。

しかし、仕事を行っていく上で莫大な資産を持つ顧客と繋がった事もあり、1年で会社を独立。その後は、女性誌等で流通ジャーナリストという肩書で執筆活動を行うようになりました。

そして、2008年頃からテレビやラジオに出演するようになり、その軽快な語り口でレギュラー番組を持つようになるまでに成長しました。


彼は、生前自分の病の事を一切公表せず、病気により急激にやせ細った姿でメディアに顔を出した際も、13キロのダイエットに成功したと偽り、病気の存在を隠し続けました。

彼の死後行われた葬儀は、彼自身が綿密に計画したものであり、用意周到に準備が施されていたことから「完璧な終活」と称えられました。

生前整理を行った背景

金子さんの死因でもある「肺カルチノイド」が発覚したのは、2011年6月で亡くなる約1年4か月前のことでした。

彼の病気の治療にあたったのは血管治療の第一人者である大阪・ゲートタワーIGTクリニックの院長・堀信一。金子さんは掘院長の元に訪れた際には、既にいくつかの病院を訪ね歩いており、うちでは治療不可能とさじを投げられていたとのこと。


掘院長の元には、外科治療・放射線治療・全身化学療法でも手の施しようがないガン患者が集まる、いわば最後の砦。そんなガン治療のスペシャリストでもある堀院長ですら金子さんの病状を診て、「生きているのが不思議な状態。やってみなきゃ分からない…」と感じたそうです。

そんな状態であったので、金子さんは死を覚悟していたのだと思われます。そして、自分の死と向き合う事で、残された人々に何ができるのかを考えるようになり、「完璧な終活」を敢行するに至ったのだと思います。

生前整理・終活で行った事 1:遺言書の作成

金子さんがまず最初に取り組んだ事は自分の遺産を整理すること。遺言書の作成は旧友の弁護士と共に行い、法的拘束力にある正式な遺言書、いわゆる「公正証書遺言」を完成させました。

金子さんは、自分の死がこんなに早く訪れるとは想定していなかったようで、生命保険には未加入。それでも奥さんにしっかりと自分の少ない財産を受け取って欲しいとの思いで遺言書を作成しました。

晩年は病状の悪化により外に出る事が困難になったため、メールで弁護士とやり取りを行い、周囲に支えられながら何とか完成させるに至ったようです。

生前整理・終活で行ったこと 2:お墓選び

金子さんは、墓地を設けて自身のお墓を立てる事はせず、永代供養を行ってくれる納骨堂を終の住処にすることを選びました。

その理由として、「死んでしまう自分の墓地に数百万円もかけるよりも、残された人達を振る舞うためにお金をかけるべき」という考えがあったからだと自身の手記で語っています。

また、金子さん夫婦には子供がおらず、後々妻も逝ってしまい、2人一緒に埋葬されることを考えると、永代供養は必須だろうという考えもあったようです。


金子さんの骨は収められている心光院という納骨堂に収められています。心光院は東京タワーの眼下にあり、お参りに来て下さる方々が見つけやすく、東京タワーを見る度に自分の事を思い出してくれるのではという考えからその場所に決めたと語っています。

生前整理・終活で行ったこと 3:お葬式の準備

金子さんが自身の葬式をプロデュースするために行った事は、主に以下の5つです。


・葬儀屋の手配と進行の決定

・遺影の撮影

・参列者に振る舞う料理の手配

・葬式で流す映像作製

・参列者に送る手紙や言葉の用意

葬儀屋の手配と進行の決定

金子さんは葬儀屋の手配から自らの手で行いまいした。金子さんが選んだ葬儀会社はセレモニーみやざき。

こちらの葬儀会社の宮崎美津子さんは、金子さんの葬儀のプロデュースを影で支え、先ほど紹介した金子さんの遺骨が納められている納骨堂の心光院も彼女の紹介で決めたとのことです。

また、葬儀の進行も宮崎さんと相談の上、金子さん自身で決めています。葬儀の進行役には、以前から親交のあったDJのケイ・グラントさんに死後1か月前ほどにお願いしていました。

遺影の撮影

金子さんの葬儀で飾られた遺影もこの日のために生前撮影したもの。その姿は眼鏡とトレードマークのオレンジ色のネクタイを身にまとったスーツ姿。

また、彼の死装束も遺影と同様眼鏡とオレンジ色のネクタイを着用した姿でした。

参列者に振る舞う料理の手配

葬儀に参列者に提供する料理も、すべて金子さんが事前に用意していたものでした。金子さんは葬儀に出すメニューを具体的に決めており、実際の葬儀では「オードブル」、「煮物」、「にぎり寿司」といったものが振る舞われました。

葬式で流す映像作製

金子さんの葬儀では、50インチのテレビ画面に自身の出演したバラエティ番組の映像が流れました。この映像もこの葬儀のために金子さん自身が編集したものであり、和やかな葬儀になるよう演出しています。

参列者に送る手紙や言葉の用意

金子哲雄さんは、自身の葬式の際に読み上げる礼状の中で、この世から旅立つ事を「早期リタイア制度を利用する」というユーモラス溢れる表現に言い換えていました。

さらに、「早期リタイアしたからといって休むつもりはない」「第二の現場でみなさまに心温まる話題やお得情報をお届けする」など死の悲壮感を感じさせないような表現も随所に散りばめられています。

このような演出に対し、「ホンマでっか!TV」の共演者・おおたわ史絵さんは、「思わず笑っちゃうような葬儀でした」と話しています。

生前整理・終活で行ったこと 4:手記の作成

金子さんは、女性セブンで連載を手がけており、その繋がりから連載担当者と相談の上、自分の死後出版される手記「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」の執筆も行っていました。

この手記の執筆の目的は、自分の経験を世に伝えるため、そして、この本の売り上げで奥さんの生活が少しでも楽にするためだとされています。

本の中身には、病気の発覚から亡くなるまでの間の心の葛藤や、終活に取り組んだ事で分かった事、感じた事などが記されています。また、金子さん自身が終活の際に行った事が事細かに記されているので、終活・生前整理に取り組もうとお考えの方にとても参考になると思います。

金子哲雄の終活【総括】

流通ジャーナリスト・金子哲雄さんが終活で行った事は以下のものになります。

・遺言書の作成

・お墓選び

・お葬式の準備

・手記の作成

金子さんは、この終活で行った事を自身の手記の中に書き記しており、これから終活・生前整理に取り組む方に大変参考になると思います。

この機会に是非自身の終活について考えてみてはいかがでしょうか。

次に読むべき記事はこちら

関連記事
人気
カテゴリー
人気の記事

昨日の人気の記事